• ——玉田監督が初めて、戯曲「夏の砂の上」を読まれたのは大学在学中とのこと。2022年にはご自身の劇団「⽟⽥企画」で舞台として上演されていますが、映画化に際してお話されたことについて教えてください。
  • 玉田:
    ワンシチュエーションで繰り広げられる物語であるのに、会話を通して外の景色までが浮かんでくるような戯曲なので、舞台の稽古中から「これは映画にしたら面白いのではないか」と思っていました。松田さんには「映画にするならば、長崎という街自体を主人公にするようなものにしたいです」とお伝えしました。
  • 松田:
    映画にするにしてもいろいろな方法があると思いますが、スタジオではなく、長崎のロケですべての撮影を行うと聞いて、それはいいなと思いました。ちゃぶ台のある部屋というワンシチュエーションで展開されていく戯曲をロケで映画化するとしたら、その部屋以外で行われていることを描く必要が出てくるはず。これまでにも玉田さんの舞台は拝見させていただいていましたが、空気の作り方もうまいし、会話劇をしっかり作られていく方だという印象があって。今回は長崎の街自体を描いていきたいというお話もあり、とても楽しみにしていました。
  • ——映画化に際して、玉田監督が脚本も担当されています。松田さんからは、どのように変えてもいいというお話があったそうです。
  • 玉田:
    映画にする上で、遠慮しなくていい。展開や設定が変わったとしても、本作の核となる部分さえ掴んでいればいいということなんだと、背中を押していただきました。同時に緊張感もあって。もともと大好きな戯曲なだけに、そこに手を加えるというのは勇気も必要になります。その覚悟を持つべきなんだなと思いました。
  • ——完成した映画をご覧になって、いかがでしたか?
  • 松田:
    とても面白かったです。本作では、登場人物たちが坂を上り下りする身体の動きを、じっくりと時間をかけて撮っていますよね。治がたばこ屋に行き、また坂を上って帰る時にはため息をついたりと、彼の感情が身体の動きとしても表現されていました。治が仕事に行く時、優子が街を歩く様子など、彼らの足取りをしっかりと収めていたという印象があります。
  • 玉田:
    長崎にロケハンに行ってみると、坂や階段がうねるようにして複雑に繋がっているんだと実感して。たとえば治の家は坂の上のほうにあるという設定なんですが、その撮影場所に行くまでもひと苦労なんですね。長崎で暮らしている人たちの生活を描く上では、彼らが坂を上り下りする様子や、そういった足取りを撮らないと嘘になるなと感じました。
  • 松田:
    彼らがいろいろな感情を抱えながらそこで生活をしているということがわかり、戯曲には書かれていなかった部分、潜在的な力を見せてもらったような気がします。また、光の演出もとても印象的です。たとえば立山と部屋にいる優子が、割れたガラスの破片で光を反射させるシーン。「白く光って、私も消えてしまいたい」というセリフと重なり、優子自身がその光の中に入っていくような場面になっていました。そういった演出、表現も映画ならではですよね。
  • 玉田:
    ガラスの破片を光らせるシーンは、照明がキーとなりました。フィクションとリアルのバランスをどれくらいのものにするべきなのかなど、光のレベルにはかなりこだわりました。「白く光って、私も消えてしまいたい」というセリフの前に、優子が立山とはしゃぎながら簾を上げることによって、部屋にそれまでとは違う光が差し込むという流れを作ることができました。光と俳優の動きの連関によって、作り上げたシーンです。
  • 松田:
    あれは見事でしたね。また戯曲には、優子がバイト先の仲間といたとしても疎外感を味わっていることなどはほとんど描かれていないのですが、映画ではその部分もしっかりと補完されていて。あと映画では、優子が涙を流しながら、恵子にあるセリフを言い放つシーンがあります。戯曲では、優子は恵子に面と向かってそのセリフを言うのではなく、「そう叫んでやった」と治に話すだけなんです。とても面白い視点が生まれていたので、「玉田さん、すごいな」と思いました。あそこで優子が泣いているというというのも、よかったですね。
  • 玉田:
    優子役の髙石さんが、すばらしいお芝居を見せてくれました。松田さんの書かれた戯曲に力があるからこそ、僕はそれをお借りして撮ることができたんです。僕がこの戯曲を舞台で上演させていただいたのが、30代半ばを過ぎた頃ですが、それくらいの年齢で松田さんはこの戯曲を書かれているんですよね。早熟さに驚きます。
  • 松田:
    その言葉を、そのままお返しします(笑)。僕は原作を書きましたが、本作をいち観客としてとても楽しませていただきました。戯曲とはセリフや視点が変わっているところがあったとしても、それがいいんですよ。それこそが創作の面白さです。本作を通して玉田さんの才能を感じましたし、これからも映画を続けてほしいなと思いました。
  • 玉田:
    松田さんにそう言っていただけるのが、僕にとって一番うれしいことです。やっぱり松田さんに映画を観ていただくのは、ものすごく緊張しましたから(苦笑)。
  • ——玉田監督は舞台、映画とどちらも手がけられますが、それぞれのよさについてどのように感じていますか。
  • 玉田:
    演劇は、セリフと俳優の身体のみで戦うものだという感覚があって。いい俳優に強度の高いセリフを与えれば、その空間を自分の身体を使って支配することができる。映画の現場でもそういうことが起きているんですが、スクリーンで観た時に、その場の空気を俳優の力のみでコントロールできるかというと、そうでもないような気がしています。映画を撮り始めた頃は、芝居が面白ければいい作品になると思っていたんですが、そうはいかないんだということがわかってきたというか。俳優力やセリフの力だけではなく、撮影の力が必要だと感じています。
  • ——長崎を舞台にした本作が、戦後80年となる節目の年に公開される意味について感じていることがあれば教えてください。
  • 玉田:
    本作は長崎という、戦争や原爆の記憶を持つ街を遠景にした映画です。この“遠景にある”ということが、大きなポイントだと思っていて。過去の記憶がだんだん薄れていって、覚えている人がいなくなったとしても、いろいろな痕跡が街の中には残っている。人間の記憶と過去に起きた惨劇のバランスというのは、そういうものだと思うんです。長崎の街で巻き起こっている人間ドラマに焦点を当てた本作は、戦争についてはっきりと語っている映画ではありません。でもそういった距離感で過去と向き合い、80年前について考えてみる方法もあるのかなと感じています。
  • 松田:
    1945年、今から80年前に長崎に降り注いだのは、人を消し去る光でした。言うなれば、過剰な光です。そして優子は、治の家に置いてけぼりにされ、自分にとって居心地の悪いような街で「私も白く光って消えてしまいたい」という気持ちを抱えています。不謹慎なセリフかもしれませんが、ここから立ち去りたいと感じている優子の中では、長崎に降り注いだ過剰な光に触れたような瞬間があった。そういった奇跡的な瞬間は、創作活動でこそ描けるもの。いろいろなアーティストが集まって作り出す、一瞬の輝きのようなものだと感じています。